第一回『ものづくりってなったら石川県が良いなって』
これまでの対談は、私たち匠頭漆工のアイテムが出来上がる工程に携わって頂いている方々とのものでした。今回は少し視点を変えて、同じ『木地師』ではありますが、個人で制作を行っている生地史子(しょうじふみこ)さんにお話をお伺いしました。
生地さんは今年活動15年目になる木地師さん。ご自身で作家仲間と工房を持ち、山中漆器の一員として色々な企業や作家さんからの注文を受ける傍ら、ご自身の一点物の作品も制作していらっしゃいます。独立して活動している作家さんと、異なる角度から『木地師』の話。沢山の共通点や新しい発見満載の対談を全二回でお届けします。二代目 章二、三代目 貴雄ダブルで参加です。今回はその一回目。
"なるほど自分でやるっていう選択肢もあるんだって"
-伝統工芸士の資格もお持ちの生地さん。まずは生地さんご自身の活動や何故木地師になったのかなどお伺いしました。
久保出貴雄/匠頭漆工三代目(以下貴雄):
同じ“木地師”ではありますが、個人でやられていると私たち企業と仕事への携わり方が違う印象を持っているので興味津々です。生地さんはご自身の作品も作られていらっしゃるんですよね。
生地史子氏(以下生地):
はい。木地を挽くところから漆を塗るところまで全てやっています。グループ展等展示会に出展する時は、自分で拭き漆したものなどを出しています。でも、一点物の制作はそんなに全体の仕事としてはあまり量は多くないですね。普段、主には作家さんの木地を作ったり、問屋さんでも少量生産のものや見本など数の少ないものを中心に製作しています。例えば椀物の木地や、掛け軸の軸を20幅(ぷく)とか。
貴雄:
山中漆器の伝統工芸に携わりたいと思ったのはどのタイミングですか?
生地:
大学生の時に、山中に研修所があることを知りました。山中漆器のことは元々存在は知ってましたけど、研修所があるっていうのは知りませんでした。ものづくりに関しては興味があったので、大学卒業後の就職先も工芸のメーカーや美術館の学芸員などで探してました。でもそういうところは採用枠一人とかですごく募集が少なくて全然駄目だったんです。それでもやっぱりものをつくることや工芸に興味があったので、どうしたらいいかなって考えてた時に、油絵を描いている親に「自分でやれば」って言われて。そこで、なるほど自分でやるっていう選択肢もあるんだって気づいたんです。
貴雄:
ちなみに大学は何学部だったんですか?
生地:
情報学部でした。プログラミング等やってて、就職先自体は一杯あるんですけど、在学中の途中から向いてないって思ってて。笑
最初のこれを打ったらこうなるっていう組立の部分はすごく面白かったんですけどね。ものづくりと一緒で。段々高度になってくると単なる記号の羅列でしかないから、これを仕事としてやっていくのは辛いなと。
でも「情報」と一口に言ってもすごく幅広いんです。その最初にやっていた“システム構築”もあるし、情報を“使って”社会に対していかに利用するかっていう、情報社会的などちらかって言えば文系のものもあります。システム構築の方に「?」って思ってた時に、『博物館マネージメント』という、過去の古い美術品や工芸品、出土品をデータ化して保存したり、美術館や博物館で人に見せて伝える仕事があることを知りました。それに興味を持ち勉強し始めてから、工芸品や昔の遺跡とかそういうものを幅広く見て“ものづくり”そのものに興味を持ったんです。それからですかね。
久保出章二/匠頭漆工二代目(以下章二):
若い世代が興味を持ってくれるというのは嬉しいことだねぇ。
生地:
そうなると、ものづくりってなったら石川県が良いなって思って。研修所もあるし、学ぶ環境もあるし。元々石川の小松出身なんですけど、大学が静岡なんですよ。ものつくるんだったら石川だってなって帰ってきた感じです。
貴雄:
今は木地師になられてからどれぐらい経つんですか?卒業してすぐ独立されたんですか?
生地:
大学卒業してから研修所に入ったので、今年で15年目ですね。卒業後は佐竹さんていう山中の木地師さんの工房にしばらくお世話になってました。そのあと小松の実家でやり始めて、今ここ(現在の工房)に移ってきました。
貴雄:
実家でやられていたんですか?
生地:
はい。実家の車庫に轆轤を置いて。
章二:
でも、そこまでかけてやるっていうのは本物だねぇ。
貴雄:
昔の人は、親がやってて半分強制で継いできた部分があるけど、最近の人はそれがないから、継がないで一代で終わってしまう人も多いですよね。でも、自分でやってみて分かるのは、木地師という仕事は結局自分で興味を持たないと、なかなか出来る仕事ではないなって。
“質に拘る人は増えてきてますよね。”
章二:
昔は日本の国民性で、伝統工芸っていっても振り向く人はそんなにいなかったからね。ほんの一部の人が「あぁいいな」っていうだけで。普通の一般の人らはまず興味がなかったんや。もう何十年も前の話やね。海外に行ける人とか、高級品を買える人たちの上流社会の人たちしか目を向けないって感じやったかな。
貴雄:
ここ最近はやっぱり変わってきた感触ありますか?
生地:
変わった気がします。周りも変わってきましたね。売れるものとかも。
章二:
文化が段々落ちついてきてるしね。昔からみると給料の平均も上がってきてるし、所謂ちょっと裕福な中流階級が一番多くなったころから変わったね。それまでは生活するだけで精一杯って人が多かったんや。一時更に景気が悪くなった時には伝統工芸は日本には必要ないって風潮にもなった。それからもう西陣織も九谷焼も全滅しそうになったんよ。
貴雄:
食べていくことが充実して、その先にあるのがこういうお椀とか伝統工芸品なんかなって。やっぱり衣食住がある程度充実せんとなかなか手がでるもんじゃないかなって。
章二:
もう今で精いっぱいだとね。子供学校へ出して、貯金もなんもないってそういう生活が暫く日本では続いとった。
貴雄:
今でも(伝統工芸品は)おんなじような立ち位置ではあると思いますね。このお椀が欲しいから、ちょっと明日のご飯我慢してっていうのはあんまりならないかなって。
生地:
でも結構(生活やものの)質に拘る人は増えてきてますよね。食べ物にしても、発酵食品がブームになったりとか。
章二:
自分に余裕が出来てくると、やっぱり落ち着けるものが欲しいっていう。そういう考えは段々と一人ひとりに宿ってきたね。どうせ食べるなら良い感じのお椀で食べるとか箸もいいものでを吟味して買い、使う。前は値段が安ければいい、売れているものは良いだろうってものまねで買うてたけど。
生地:
けっこう分かれて行きますよね。吟味する人と、安ければいいっていう人。百均でも買えるしっていう人もいるし。
貴雄:
そうですね。全く興味ない、その分他にお金かけたいっていう人もいると思う。でも、拘る人も増えてきた印象もあります。
生地:
そういう人がちょっとずつ増えてきてると思うから、その「いいもの」が見える場所というか、教えてくれる人がいたらそれはとてもいいですよね。そこからもっともっと広がっていけば、盛り上がっていくと思います。
“完成に近づいてくると、それが何であってもいつも楽しいですね”
貴雄:
こちらは3人の作家さんのシェア工房とお伺いしました。それぞれ違う分野をやってるって多分今までにない形なんで、すごい面白いと思います。
生地:
そうですね。あんまり工房シェアするっていうのはなかったかもしれないですね。ここはシェアハウスで共同生活しながら、3人3種の職人で工房もシェアしています。
同じものの形を繰り返しずっと作っていると、一人だとちょっと飽きてくるんですよね。手は勿論動いてるんですけど、頭が暇になっていくというか。シェア工房だと、例えばこの間一日だけ隣の机で名刺を作ってた作家さんがいて、その時はたまに喋りながら出来たんで楽しかったんですよね。一点ものの作品を作りたいって時は逆に一人でやりたいんですけど、そうじゃないときは変化があって良いですよ。
貴雄:
分かります。特に同じもの100個とかの注文の時は確かにそうかもしれないです。そういう意味では、前回対談をした下地師の上田さんは本当に仙人みたいだな‥その方は朝の8時から夜の9時までっずっと一人で黙々と作業をやる。その後も(精神的には)まだ出来ると思うけど、体に悪いからやらないって仰ってました。
生地:
山中には仙人だらけだと思います!
貴雄:
その作業中モチベーションはずっとフラットな状態で出来るって言ってたんで、どういうこと?っていう。笑
章二:
まぁ数多く作ってる時は、五つ続けていいものが出来たとか、でたまに失敗するやろ、その失敗が少なくなった時なんかはやっぱり嬉しいやんね。お、続けてこんなに出来たなぁっちゅう。その繰り返し。
(章二さんも山中漆器の中で仙人みたいな存在として一目置かれていることはこっそりお伝えしておきますね。)
貴雄:
生地さんは木地師15年やってきて、「ここが木地師最高だわ」って思うことあるんですか?
生地:
そうですね。日々結構ちっちゃいことはあります。数やってると、さっき飽きるって言ったんですけど、外挽いてから中挽くじゃないですか。外だと飽きてくる半面、中挽いてると一個一個出来てきて終わりに近づいてくる。そうすると、段々テンションが上がってきて楽しくなりますね。やっぱり出来上がる=完成に近づいてくると、それが何であってもいつも楽しいですね。
貴雄:
それは作品を作ってるときもですか?
生地:
はい。数(かず)ものでも、一点ものでも、完成に向かう喜びは一緒かもしれないです。
(第二回につづく…)